“2012年”の記事一覧

新たな道を

「コラム更新しないんですか」と、葬儀社の担当さんに言われてドキッ!

下書きばかりたまって、表にアップしてないのですわ。

ついつい、今度ちゃんと下書きチェックしたらのせなきゃねと思いつつ、日々の忙しさに追われております。

忙・・・心を亡くすと書く、すごいね。心を失わないように気をつけようっと。

 

今月に入って、ずっと一緒に仕事をしてきたスタッフが、お世話になっている葬儀社さんで働くことになりました。

彼女のご家族が亡くなられた時にその葬儀社さんでお式をし、私が納棺をさせてもらったのが彼女との出会い

納棺師という仕事に感動し、「この仕事をやりたい、学ばせてください」という強い思いに心を動かされ、2年間アイシスで勉強をしてもらっていました。

彼女にとっては、葬儀の仕事は夢に見ていた目標です。なによりも彼女が大フアンだったM葬儀社です(フアンクラブのある葬儀社って素晴らしいですよね)。

納棺師という仕事から、葬儀の仕事へと新たな道を進むことになった彼女。

納棺で学んだことをいかし、より素晴らしい担当さんをめざして頑張ってほしい。

ご遺族のために、故人さまのために、ぶれずに、流されずに、がんばろうね。

 

敦子

 

 

 

 

 

 

命のバトン

さる8月19日明け方4時43分、父が旅立ちました。

肺炎で入院して、自然死を選択し

見守りながらも待つ日々、辛い日々でした。

 

そばにつきそい、声をかけ、身体をさすり、手を握り、見送ることができました。

死ぬのが怖くなくなるような、静かで安らかな最期を父はみせてくれた。

看取れた満足感? 寂しさや悲しさよりも、不思議な暖かい幸福感で心が満たされました。
不自由な身体から自由になった父が、そっと包み込んで見守っていてくれるような、そんな気がしている。

こんな気持ちになれるなんて自分でもびっくり。
奇しくも通夜は私の誕生日でした。

私に命をくれた父が、たった一度きりの「死の授業」を授けてくれ

しっかりと命のバトンを受け取らせてくれたこと

これからの心の支えです。

 

敦子

某日、14時、小さな命がお骨になりました

病気と一所懸命闘って、力尽きた小さな命

闘病の痕が痛ましく、みなの涙を誘いました

 こんなに小さな身体で、頑張ったね

今はきっと楽になってるよね

たとえこの世にいる時間が短かくても

あなたが生まれてきたことは無意味じゃない

棺に入る前に、あなたを抱っこしたお父さん 「大きくなったなぁ」と感心してたね

 お母さんは「よくがんばったね」と褒めてくれた

 誰よりもあなたを愛してるお母さん

あなたの旅立ちを

死というものを理解できないお兄ちゃん

いっぱい折り紙を入れてくれて 「いってらっしゃい」と握手してくれたね

形は変わっても 消えてなくなったわけじゃない

家族の絆は永遠に変わらない

もういちど会える、

また あなたを感じられる

いつかきっと

 

私も、小さなあなたの手を忘れない

ありがとう

安らかな眠りをお祈りします

Kくんとご家族へ

最期にみんなが手を握れるように、ドライのあてかたを配慮してくださった担当さんに感謝

 

敦子

素晴らしきかな

こんちには みさなん おんげき ですか? 

わしたは げんき です。

この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。

 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?

 ちんゃと よためら はのんう よしろく

ニュースでさわいでた コピペの ぶしんょう。

感覚で読めちゃいますね、おしもろい。敦子

友の言葉

新緑の頃に産まれた友
彼女の著書のあとがきから
 
 「卒業する子供たちへ」
 
翼あるものたちが故郷へ、北へ、飛び立つころ、
 
あなたたちも飛び立つ。
 
あなたたちも、翼あるものたちと同じ強い志と元気な翼をもつように祈っています。
 
みんなお互いに、長い、難しい旅をつづけることになるから。
 
その翼あるものたちや、ほかのすべての生き物たちが精一杯、
 
一生懸命生きているように、あなたたちも生きてほしい。
 
 
 ときには、あなたたちの一人ひとりが孤独を知る。
 
いつも群れといっしょにはいられない。
 
そのときこそ、自分で
 
自分にある生まれつきの美しさと強さを感じてほしい。
 
自分の心といっしょに生きなければならないから。
 
ほかのものではなく、自分が正しいと思うことを貫いてほしい。
 
 
自分がたった今いるところをよく見て、よく聞いて行動すること。
 
その行動に対して責任をもつこと。
 
その生き方のなかで自分と合っている仲間を見つけられれば、
 
とてもうれしいこと。
 
けれど、それもあくまで自分が自分に忠実であってのことです。
 
一人になるとき、自分の心が静かであるためです。
 
 
もうひとつ、そしてこれが大きいこと。
 
自分の行動は、ほかのすべてのものたち、すべての生き物たち、
 
すべての水たち、すべての木と草たち、
 
そう、星たちにも影響を与えていることを、
 
一瞬も忘れてはいけない。
 
 
自分の行動を信じて、そして何が起こっても、
 
その行動からくる結果に対して責任をとるべきです。
 
 
みんなみんな連なっている。
 
あなたたちが選ぶ行動が、
 
ほかのものたちの生と死と関係していることを忘れないでほしい。
 
これは忘れやすいことです。
 
 
 大雨のあと、川の流れが速くなるように、洪水になるように、
 
いろいろなものが流されるように、
 
二本足のあなたたちも流されやすい。
 
便利さ、新しさに。
 
鳥たちが光るものを好きなように、
 
二本足たちもピカピカキラキラしているものに目も心も奪われやすい。
 
流されやすい。
 
けれど、それが危ない。
 
とてもとてもむずかしいけれど、
ほかのみんなが目を奪われても、
 
流されても、自分の魂の力を使って、
 
そのキラキラに耐え、流されないようにしてほしい。
 
 
そうしてこそ、ほかの生き物たちにもふさわしい兄弟姉妹になれるから。
 
 生き物たちは、みんな一人でも強く美しく生きているから。
 
「生き物として、忘れてはいけないこと」より
 
 
 もうかれこれ20年以上はお付き合いをしている。
ぶれることなく一所懸命に生きている彼女には、いつもたくさんの事を学ばせてもらっている。
私も初心を忘れずに行かなきゃと、久々の休みの日に思うのでありました。
 
「すべては生と死、それしかない、あとは飾りのようなものね」
 
ミタクィエ・オヤシン
 
敦子

最高に美しい死に顔

いろんな事が原因でなくなられる方たち 死に顔は様々

私たちは、穏やかで綺麗な顔を遺族の最期の思い出にして欲しいと願い仕事をこなしています。 

 癌で亡くなられる方は、闘病生活でやせこけて元気だった頃の面影を失っている方が多いです。
それゆえに私のようなものが呼ばれるのですが。
激変してしまった顔をみて、遺族や対面に来た方々は気の毒で辛くてたまらないだろうと思います。
最期の顔は確かに別人みたいかもしれない、
しかし、病気と一所懸命戦い、苦しい治療も受け、愛するものたちのために生きようと頑張った故人の
生きてきた証。

いつの頃からか、その顔や姿がとても愛しく美しいとかんじるようになりました。
病のために命を失ってしまったけれど、決して負けたわけではない。
頑張りましたね、立派です、見事です、恥ずべきお姿ではありません。
まるでがいこつに皮がくっついたような痩せたお顔でも、崇高で美しい死に顔に思えるのです。

 
それでも、元気だった頃に近づけるよう、ご遺族にお話を聞きながら、ふっくらした顔に戻していきます。
 「やっとお父さんになった」
「入院する前の顔になったね」 など喜びの声が聞かれ、それはとても嬉しいこと。
故人の、やせた別人のような顔は忘れられるでしょう。
けど、忘れないで。
まんまの死に顔も、最高に美しかったのだと。

敦子

ただ、ただ、ありがとう

故人90歳のおじいちゃま
廊下がボーリングのレーンかと思ったほどの大きな豪邸にお住まい。
お気に入りの洋服に着替えて、式までご自宅で眠ります。
ひまごさんが折った折り紙を顔の周りに飾ってくれました。
ご遺族の湯灌のしぐさに、いかにみんなに慕われて大切にされていたのが伝わってきて、こちらの気持ちも暖かくなります。
高齢だけどとても品のある奥様が、ご主人の顔や胸に優しく触れながら「ありがとう、私のことは心配しないでね」と何度もささやいていました。

通夜当日、式場に飾られたパネル写真には、奥様と写ったたくさんの写真が。
二人ともとても幸せそうな顔をしています。
「ありがとう、ただ、ただ、ありがとう」という大きな文字のメッセージが目を引きました。
私も、こんな風に遺された人たちに「ありがとう」と言われながら送られてみたいなと思ったりして。
いまの自分って、周りをちゃんと大事にしてるかな?
感謝されるような生き方をしているだろうか?
と考えると、ダメだぁバッド(下向き矢印)反省がく~(落胆した顔)

恐竜好きな息子にせがまれて、購入した絵本
 「きみはほんとうにステキだね」

表紙のイラストから、面白おかしい本だと勝手に勘違い。
読みきかせをしていて「やばい、この内容はやばいふらふら」と気がつくもすでに遅し、ラストのページで声がうわずり涙をこらえるのが精一杯になっちゃいました。
息子も、下を向いてしまっています・・・どうやら泣いてるのを隠している模様。
たかが絵本、されど絵本、最近は感動する内容の絵本がたくさんで、読み聞かせの場合は下読みしとかないといかんわと、これまた反省したのでした。

 

敦子

旅立つ妻へ

私の妻は、明るい性格で、いつも前向きな思考をする女性です。
結婚してからは、私をずっと支えてくれました。
子供たちにとっては、厳しいながらもしっかりとした母親として立派に子育てをしておりました。
子供たちが大きくなってからは、友達と旅行に行ったり、カラオケを楽しんだり、そしてボランティア活動も熱心にしていました。
友達も多く、近所の人たちからもとても慕われていた女性です。
大好きな花を育てては、毎年綺麗な花を咲かせてました。
このたび病が悪化し、頑張りましたが、そちらの世界へといくことになりました。
長年連れ添った妻は、素晴らしい女性であります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
先に旅立った奥様へ、金婚式を数年前に祝ったご主人が棺に入れたお手紙です。
最初は奥様への手紙だと思っていました。
納棺の準備をしながら、目を通させていただいて、心が暖かくなりました。
金婚式のパーティーで着たというお洋服に着替え、微笑んでいるようなお顔の奥様に、何度も話しかけていたご主人。
きっと奥様は無事に旅を終え、極楽浄土にたどりつくことでしょう。
 ご主人の推薦状もありますしね。
 
敦子

一期一会

「○○斎場はこちらでいいですか?」と、仕事場へ向かう私に話しかけてきた初老の男性。
「今私も向かう所ですので、ここをまっすぐに行くと右手にあります、もうすぐそこです」と、斎場までを一緒に歩きました。

私のすごい荷物を見て「おひとつ持ちましょう」と重たいほうのかばんに手をさしだしてくれます。
「いえいえ、とんでもない。重たいですし、もうすぐそこですから」と辞退したら「なに、私だってまだまだ元気で、力もありますよ」と笑いながら、かばんを持ってくれました。

 
「最近は、混んでいるんだねぇ。もう6日間も待たされて冷蔵庫の中にいるんですよ」と語るダンディーなおじいちゃま。
「そうなんですか、6日間は寂しいでしょうが、霊安室に安置されているなら安心ですよ」と私。
自分の仕事の話もしました。

まさか、私が入る葬家?と思いましたが、違う葬家でした。 親戚の女性が亡くなってお式に参列するのだとか。
斎場について、それぞれの式場に足を運び、お別れしましたが、なんとなく気になって仕事が終わった後に、名前を探してその方の参列する式場まで行ってみました。
準備中の祭壇には若い女性の写真が飾られています。
ほんの数分一緒に歩いただけではあるけれど、一期一会、人の縁って素敵ですよね。
式場の外で合掌をして斎場を後にしました。

 

敦子

 

年末年始

新年のご挨拶を申し上げます。

年末27日の明け方、我が家の猫が老衰で大往生を遂げました。
阪神淡路大震災の時に大けがをしていたのを保護され、飼い主が現れず縁あって我が家にやってきてから16年共に過ごしてきたラブリー。家に来た時はすでに大人の猫ちゃんだったから猫生では17、8年は生きたのでしょう。
何度も大きな怪我をし、もうダメだという危機を奇跡のような生命力で生き延びてきたラブリー。
最期は怪我や病気ではなく老衰で旅立っていった彼女の生きざまは見事でした!
とはいえ、心にぽっかりと穴があいたようで今はとても寂しいけれど、ラブリーとの思い出はとても暖かくキラキラしています。私の宝物です。

ラブリーの火葬や仕事でバタバタした年末、大晦日になんとノロウィルスにかかり寝込みました。
苦しかった・・・しんどかった。
人生で一番しんどい年末年始を迎えたかも?

友人には「一年の厄を元旦に落としちゃったからもう大丈夫」と言われ、そーかそーかとポジティブに考えることにしました。
人の暦と関係なく、自然界の生き死には動いていきます。
今年も、たくさん良い仕事をしていきます。

ご縁の出来た皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

斉藤 敦子

 

 

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